3月2日 広島クラブクアトロでレイニーウッドのライブへ。
1960年代から70年代にかけて、「パワーハウス」
「ゴールデンカップス」などで主にベース、ギターを演奏した
ミュージシャン、柳ジョージがボーカル、リードギタリストとして
活動するバンドを作ったのが「柳ジョージ&レイニーウッド」。
1975年の結成から1981年の解散までに多くのファンを
魅了したこのグループは、
主に広島で活動してきた(のちの)レイニーウッドを、プロ経験者
柳ジョージが拾ってきたものだ。
で、2005年になって再結成。
今回の広島では「とりあえず」ジョージさんはいないようだ。
4月には柳ジョージ&レイニーウッド、横浜でライブがある。
ライブには元子さんや百田、マイティ井上の
年代と思われるファンが次々と押し寄せてきた。
職業は「会社役員」というような人たち。
柳ジョージがソロになってからしかリアルタイムで知らない
ファンである僕は、
「こんなに人気のあるバンドだったんだ」ということを
初めて思い知らされた。
柳ジョージソロライブより、レイニーウッドが客を呼ぶ。
地元であることを割り引いても、
いかに解散を惜しまれたバンドか分かった。
この20数年、ヒット曲どころか
「レコード」を出していないバンドなのに、である。
「LP」や「EP」、そして再発のCDが
固定ファンの間で
20年以上聴かれ続けたということだ。
「わしゃあメンバーにメシ食わせてやりょおったんじゃけえ。
はあ30年前じゃが、わしを忘れとるわきゃあない」
と広島弁で豪語するおじさんもいる。
普段よりこのライブハウスの観客平均年齢は
30は上じゃないか。
われわれ年寄りにオールスタンディングはきつすぎるぞ。
前座で「バッキー守岡とホカホカ5」?
閉めに登場した
(レイニーウッドのメンバーの)上綱克彦の指導する
ゴスペルグループ?
彼らがいなければ僕もタクシー使わず、
路面電車で帰れたのに。
レイニーウッドは、キーボードの上綱さん、
ドラムスの四ツ田さんが主体の、
きわめて大人のバンドだった。
ボブ・マーリーが作ってウェイラーズで演奏し、
エリック・クラプトンがカバーして全米1位になった曲、
「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を
レイニーウッドがカバーしていたのを聴いて、
柳ジョージがこれをレイニーウッドのオリジナル曲だと
誤解していたという、昨日初めて聞いたエピソードが、
レゲエ好きでもある僕にはかなり笑えた。
でも柳ジョージのボーカルは、このグループには
やはり不可欠だと確信した。
今度は一緒に来てね。 [カテゴリ別]
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