日本国憲法の3つの柱となる原則は、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」です。
1. 国民主権: 国民が国の政治のあり方を決定する権利を持つという原則です。国民は選挙を通じて代表者を選び、それを通じて主権を行使します。
2. 基本的人権の尊重: 人間が生まれながらにして持っている権利を尊重するという原則です。この原則は、平等権、自由権、社会権などを含みます。
3. 平和主義: 戦争を放棄し、戦力を持たないという原則です。
明治時代につくられた大日本帝国憲法では、主権は天皇にあると定めていました。 政治をはじめ、外国との交渉や軍の指揮など、あらゆる権限を天皇が持っていました。
第二次世界大戦では、天皇の名のもとに、国民は赤紙により戦争に強制的にかりだされ、拒否したものは投獄。軍部に逆らったら殺されても文句は言えない状態だった。
自民党の西田昌司参議院議員は、
沖縄県糸満市にある「ひめゆりの塔」の、沖縄戦で犠牲となった「ひめゆり学徒隊」の説明について、「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり隊が死ぬことになり、アメリカが入ってきて、沖縄が解放されたという文脈で書いてある。歴史を書き換えると、こういうことになってしまう」などと発言しました。
参政党の神谷宗幣代表は、表現の違いがあったにしても、本質的に間違っていない」と擁護する発言をした。
しかし、西田議員の発言は嘘。
「ひめゆり学徒隊」の体験を伝えている、ひめゆり平和祈念資料館は、「西田氏が言及した記述は、現在も過去もないと断言する。発言は、後世に絶対戦争を起こさせないために伝えようとした方々の気持ちを否定し、冒とくするものだ」と批判しています。
最終的に、自民党の圧力で西田議員のみ謝罪したが、参政党の神谷代表は謝罪せず。
神谷宗幣代表の参政党、西田議員みたいのが沢山いる自民党に投票すると、国の為に国民は戦うべきと赤紙で戦争に強制参加させられるという事。
戦争強制連行反対。主権国民を変えられてたまるか!
ひめゆりの惨劇
米軍の沖縄上陸を目前に控えた1945年3月23日、沖縄県女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒222人(ひめゆり学徒隊)と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は、沖縄陸軍病院(40近くの横穴壕)に看護要員として動員された。
しかし、敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決(強制集団死)している。
負け戦に、多くの女生徒を前線で看護させ、最後、日本軍は彼女らを見捨てて死なせてしまった。
日本軍が彼女らが死なないために、潔く投降すれば死ななかった。
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